加賀藩江戸下屋敷跡

 

 

 加賀前田家・利家を初代とした時、5代前田綱紀(つなのり)が1679年(延宝7年・4代将軍 家綱)に6万坪を拝領して開設しましたが、前田家が他に所有していた土地・建物を上納し1683年(天和3年・5代将軍 綱吉)には約21万8千坪の広大なものになりました。主に参勤交代で江戸の出入りのときに、行列の旅装束の改めや藩主などの休息所として用いられました。

 

 邸内はまた生産や狩猟および行楽の場でもありました。田畑も多く、果樹も栽培されており、上屋敷などの自給にもあてていました。また石神井川北方一帯の茅場と大池などは狩猟場として鷹などによる狩も盛んにおこなわれています。大池は回遊式庭園で、すばらしい景観であったと思われます。

 また幕末には西洋式軍事訓練も行われました。

 

加賀公園内に残る弾道検査管(爆速測定管)の標的になった厚みのある防爆壁
加賀公園内に残る弾道検査管(爆速測定管)の標的になった厚みのある防爆壁